今回は、直木三十五賞について。
先月の6/20に第151回直木三十五賞の候補作品が発表されました。
直木三十五賞の選考基準は、
各新聞・雑誌(同人雑誌を含む)あるいは単行本として発表された短編および長編の大衆文芸作品中最も優秀なるものに呈する賞(応募方式ではない)。無名・新進・中堅作家が対象となる。(文芸春秋HPより)
というものです。
しかし、純文学と大衆文芸、短編とそうでない作品の違いは、明確でないというのが現状のようです。
直木三十五賞は、文藝春秋社の創設者である菊池寛さんが友人の小説家 直木 三十五(なおき さんじゅうご)さんを記念して創設された文学賞。
直木三十五さんが亡くなられた翌年の1935年に創設されました。
直木三十五さんは、43歳の若さで亡くなられました。
当時は不治の病であった結核がもとで、脊椎カリエスを発症させ、最後は、脳もおかされたそうです。
直木三十五さんの代表作は、「南国太平記」。
【南国太平記 (上)・(下)】
講談社大衆文庫
何度も映画化もされ、とても人気があったそうです。
しかし、賞の名前になっているほどの作家の作品ですが、あまり、馴染みがないのではないでしょうか。
芥川賞と直木賞。
もう一方の有名な文学賞である芥川龍之介さんの作品は、多くの方が知っていると思います。
「羅生門」・「蜘蛛の糸」・「鼻」などなど。
しかし、直木三十五さんの作品はというと、ほとんどのかたが知らないのでは。
不思議な感じがします。
純文学と大衆文芸の差なのでしょうか。
直木三十五とは、ペンネーム。
本名は、植村 宗一。
直木は、植の字を分解したもの。
三十五は年齢。
31歳のとき作家活動をはじめ、その時、直木三十一と名乗りました。
年を重ねることに、
直木三十二・直木三十三・直木三十四と変えていきました。
なかなか奇抜な方です。
名前の間違いや、他者からの忠告などもあり、直木三十五で、改名をやめました。
生き方もなかなか常識を逸していたようで、金遣いがあらく、車やギャンブル、女性などに散財していたようです。
「南国太平記」で、人気作家となってからは、仕事をこなす量もかなり多く、書いて稼いでは、散財する。
稼ぐ以上に、散財する。
借金も多く、金銭感覚は、麻痺していた方だったようです。
かなりの速筆であったようで、
入院したときにも、午前中30枚、午後30枚、夜30枚、合計一日に90枚の原稿を書く予定を立てている。
そんな無茶な仕事をする性格が、早く亡くなってしまった原因なのでしょう。
直木三十五さんに興味のある方は、お孫さんが書かれた伝記を読んでみてください。
【直木三十五伝】
今回は、直木三十五さんのことで終わってしまいました。
次回、第151回直木三十五賞の候補作品について紹介いたします。